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2011年9月 6日 (火)

笛の合図で「いただきます」

会社の方に聞いた話。

とある小学校で給食当番の「いただきます」の号令で、皆が「いただきます」と手を合わせて食事をしているところ、とある父兄からクレームが入ったそうな。

「いただきます」と宗教的なことを強要するのはおかしいと。

この小学校では給食の食事開始の合図が、給食当番が笛を吹いてその合図で一斉に食べるようになったとのこと。

しかもこれが周りの小学校に波及しているとのこと。

私はこの話を、この世の中にはすごいクレーマーがいる、そういったクレームは間違っていると正すことができない学校・社会を嘆いています、というつもりで書いているのですが、読む人によっては「え?そんないただきますとかの号令やめて当然じゃない?」って思ってる人もいるんですよね。

最近の私のおきにいり漫画「僕の小規模な生活 作者:福満しげゆき」の中で、主人公が悟ります。

「すべてのいさかいは『善・悪』じゃなくてなんとなくの力関係で決着がついているようにみえてるだけだったんだ!」

確かにこの世の真理ですよね。こうやって言葉になってるのをみてどきっとしました。

クレーマー>学校 という力関係が上のような結果を生んだんでしょう。

子供達はある日から給食の食べ方が変わったことをどう思うのでしょう。

学校はちゃんと子供達に説明しているのでしょうか。

いただきますは宗教色が強いから間違ってましたと?

父兄から苦情があったのでいただきますを辞めますと?

いただきますを辞めた子供達は不幸でしょうか?

いえ、ひとつの真理を悟るのだと思います。

「すべてのいさかいは『善・悪』じゃなくて力関係で決着がつく」

願わくば、自分が強者の側に立ったときに弱者の気持ちが分かるようになりたいと思った次第です。

そして自分が弱者のとき、相手(強者)がこちらの側に寄り添ってくれるかは相手次第であり、強要する気持ちを持たないことです。

それは憎しみに変わり、相手との関係悪化になります。

先に引用した漫画「僕の小規模な生活」の中で、作者は強者の側にも弱者の側にもなる状況を想定し、相手を「愛す」ことで怒りの矛先を収めます。

自分がそういった「クレーマー」にあったとき、相手を「愛す」ことができるかはわかりませんが、善悪で物事が決着しない場合、そう思うように努力することは悪くないことだと思います。

だって人間だもの^^;

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