お見舞いに行くことが重要ではない行ったことが大切
検査入院した母を病院にお見舞いに行ってきました。九州大学病院 略称九大病院。賢そうです、私なんか10年浪人しても入れそうにない大学です。
キャンパスに入ったことありますよ昔、私学の地方試験を受けに。ええ落ちましたともその私学はw まあ記念受検の浪人覚悟でしたけどね。
福岡生まれですが、北九州側なので、福岡市側ってのはほとんど縁がありません。もう感覚としては他県に近いくらい。横浜と川崎という違いより違う何かがあります。福岡出身の人とあっても出身が違うと「へぇー」で話が終わってしまいます、そんな感じ。
なので行くにあたっては事前にネットで調べること必須。
広島から新幹線で博多まで。博多からJR吉塚駅か地下鉄の馬出九大病院前駅のどちらかでいけるみたいですが、病院前ということで博多から地下鉄で中洲川端乗換えで馬出九大病院前駅で下車。読めますか?馬出。「うまいで」と読むそうですよ。旨いで!
大学病院だからなのか、キャンパス併設的な立地で、広くて帰るとき駅への方向が分からず迷子に。いくときは大きな病院を目指せば良かったのだが帰るときがなんの方向指示もなくキャンパス内の地図をみても道がわかりずらいというか分からない。これは病院側に猛省を促したい。
病院外からみた風景。高いところから街を見ると自分が偉くなったよう。
病院の空気は風邪をひかないようにするためか、暖かく乾燥しています。シャツ1枚でOK。共通の休憩室にはテレビやら電子レンジやら。お風呂も予約すれば毎日は入れる、寝巻きは1日70円でレンタル可。快適過ぎる。
往復5時間のお見舞い。観光するでもなく名物かしわ弁当を家で食した位。
お見舞いに行ったときに思い出したのは自分が小学生のときに1ヶ月半くらい入院していたこと。いえなかったことを思い出していってみる。
○>「入院してたとき毎日お見舞いありがとう」
△>「あのときは○○(弟)が小さくて長い時間会えなくてごめん」
共有した時間は同じなのに感じたものは違う。「あえる時間が短いなんてちっとも思っていなかったよ」といえばよかったと思ったのは別れた後。もう伝えることもないことがまたひとつ増えてしまった。
後日検査入院の結果のメールが。
「異常なしということで土曜日に退院します。じゃあこのお腹の痛いのはなんなの?お見舞いありがとう」
お腹の痛いのは精神的なものなんじゃね(笑)、とメールを返してシャンシャン。
痛いことが差し迫った困ったことなんだが、特段病名がつかなかったことに安堵。とりあえず様子見というか何事もなかったことに。
結果、高い駅弁となってしまいましたがいいよこういう出費は。色々考えることもできた。お見舞いに行くことが重要ではない行ったことが大切。
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